「グル」とは何か——ヨガ哲学における師弟関係と崇敬の意味


こんにちは、Kenです。
ヨガのクラスで、先生に向かって手を合わせたことがある方は多いと思います。「ナマステ」と唱え、時には深くお辞儀をする。この所作は、いったい何を意味しているのでしょうか。
合掌・ナマステに込められた本当の意味
両手を合わせるこの所作は、アンジャリ・ムドラ(añjali mudra)と呼ばれます。añjaliという言葉は、「両手のひらを合わせ、窪ませて作った形」そのものを指し、敬礼・崇敬の身振り一般を意味します。語根の「añj」には、「塗る、清める、称える」という意味合いがあるとされています。
この所作にはたいてい、「ナマステ」という言葉が添えられます。ナマス(namas)は、「捧げ物をする、崇敬する、称賛する」ことを意味する語根に由来し、そこには「尊敬する、鼓舞する、熱望する」という意味合いも含まれています。
つまり、合掌もナマステも、もともとは「敬意を示す」ための所作・言葉です。けれど、この所作は時に、額を地面につけるほど深いお辞儀へと発展していきます。敬意を示すはずのこの所作が、なぜ時として「服従」のようにも見えてしまうのでしょうか。
人はなぜ「崇める」のか——3つの理由
ヨガの伝統的な思考の中で、崇敬という感覚が中心に置かれてきた理由は、大きく三つに整理できます。
一つ目は、達成というものが現実だから、という理由です。 古代インド的な思考では、どれほど内面的・精神的な達成であっても、最終的にはこの世界の中で目に見える形、手応えのある力として現れてくる、と捉えられてきました。
二つ目は、知は学ばれ、教えられ、伝えられうるものだから、という理由です。 ヨガ・スートラは、体系立てて学べる教え(シャーストラ)として位置づけられてきたテキストです。個人の内側だけに留まる知ではなく、誰かに手渡せる知だからこそ、それを伝えてくれる存在への敬意が生まれます。
三つ目は、偉大さというものが、成功と失敗の両方を統合したものだから、という理由です。 成功とは「できたかできなかったか」の話ですが、偉大さとは、成功と失敗の両方を取り込んだものを指します。問うべきは「成功したか」ではなく、「それには価値があったか」という、別の問いになります。
しかし、ここにはもう一段深い問いがある
ここまでで、崇敬という感覚がなぜヨガの伝統の中心に置かれてきたのか、その理由を見てきました。合掌という何気ない所作の奥に、思っていた以上に多層的な意味が眠っていたことにも、気づいていただけたのではないかと思います。
けれど、ここから先には、もう一段深い問いが待っています。深々と頭を下げるあの所作は、本当に「服従」と呼んでいいものなのか。そして、「グル」という一つの言葉が、ヨガの伝統の中でなぜこれほど重要でありながら、同時にこれほど警戒もされてきたのか——。
この問いへの答えは、noteの完全版記事「グルという最も重要で、最も危険な概念——ヨガの師弟関係を問い直す」で詳しく解説しています。
ではまた。 Ken




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